○プロローグ 『災厄の子』 災厄は、降り立った。 「兄様、空が…」 妹が空を指さす。その指、否、体全体が震えていた。 「空?」 トライドは空を仰いだ。そして、そのまま硬直する。 「あ…あれは…」 青いはずの空が紅い。 そして、その紅は、夕暮れの紅ではありえなくて―― 「遂に、遂に来たんだ…」  いつか来るだろう、しかし来てほしくなかったもの。 彼の12年の人生のほぼ全て。 そして、これからの人生全て。 それらをかけて、解決しなければならないもの。 「遂に来たんだ、災厄が」 『災厄の子』トライドは、唇を噛みしめた。 災厄の名は、ドラゴンといった。 ドラゴンは、フロワロと呼ばれる花をまき散らし、人々の命を奪っていく。 抗する手段は、今の人間達にはほとんどなかった。 ハントマン達でさえ、容易に退治できる存在ではなかったのだから。 ドラゴン達の侵攻は、脅威だった。 最初の襲撃でハントマンの拠点、カザン共和国を落とし あとはじりじりとフロワロを広げ、人々が恐怖に陥る様を眺めていた。 それはハントマン、ひいては人々の希望であるカザン、いや、その大統領、 伝説のハントマン、ドリス=アゴートの不在が大きかったに違いない。 それはもう総大将を失った軍隊のごとくハントマン達は散り散りになり、 各地でドラゴンの脅威から人々をささやかに守ることしかできなかったのだ。 そんな状態が、三年も続いた。 このままでは、世界はフロワロに沈み、このエデンが終わってしまう。 三年もの戦いの中で、誰もが絶望しかかっていた。 だが、希望は存在していた。 ドリス大統領が全てを託したハントマンギルドが、 今もミロスの地で眠り続けているというのだ。 ハントマン達、そして騎士達は、それだけを希望に、今日も戦っていた。 ***** トライドは15歳になった。 この三年を思い出してもいいことなど一つもない。 いや、この15年、いいことなど数えるほどしかなかった。 『災厄の子』と忌み嫌われ、人々から疎まれる日々。 それでも、自分を手放さず育ててくれた両親には感謝している。 そして―― 「兄様」 こんな兄を持ちながら、真っ直ぐに育ってくれた妹にも。 「どうした?」 妹、エステリアに問いかける。 彼女はトライドと一つ違いなので14歳だ。 長く美しい黒髪が印象的な、まだあどけない少女。 彼女の手には、その体格には不似合いな刀が収まっている。 「どうした? じゃないですよ。またこんなところで……」 こんなところとは、トライドお気に入りの村で一番高い木の上のことだ。 「フロワロの毒にでも当たったら大変なんですから」 エストリアはいつもトライドの心配ばかりしている。 「大丈夫だよ」 よっ、と枝を伝いトライドが下りてくる。 妹はそんな兄の行動にはらはらしっぱなしだ。 「癒し手の僕がそんなヘマをするわけないだろ」 それに、災厄を追い払うまでは僕は死なないよ。 後半の言葉はさすがに妹には告げられない。 「もう、またそんなこと言って…」 いつものことなのでエステリアもあきれ気味だ。 「母様が呼んでますよ。昼食だそうです」 「ん、わかった」 兄妹は自らの家へと向かう。 兄にとっては生活するためだけの箱ではあったのだが。 トライド、彼が『災厄の子』と呼ばれるには理由がある。 それは、彼が生まれたときに決定づけられた。 『一周期の後、大いなる災厄が訪れる』 彼は生まれたとき、この一言を発した。 それは出産に立ち会った全ての人にとって驚くべきもの。 予言、またはそれに順ずるものである。 生まれたての赤ん坊が世界の危機を示した。 それだけで、彼の運命は決定づけられたのだ。 物心つく前から彼は忌み嫌われ、避けられ続けた。 両親は愛情がないわけではなかったが、彼を恐れ、まるで腫れ物を扱うように接した。 すぐに妹が生まれたのは、幸か不幸か。 愛情はそちらに注がれ、彼はある意味放置された。 村人は彼に直接的な行動は起こさなかったが、もう典型的な村八分状態だ。 例外が一人いるにはいたが、彼には頼れる人間などほとんどいなかった。 そして、三年前のあの日、『大いなる災厄』は現実のものとなった。 その災厄は、あろうことか彼の12歳の誕生日に降りかかったのだ。 村人はますます彼を避けた――いや、恐れたのだ。 『一周期の後の災厄』をもたらした者として。現実の『災厄の子』として。 外を歩けば白い目で見られ、家族すら遠まわしに傷つけられた。 よくもこんな環境で育てたものだ、とトライド自身も思う。 「兄様、見てください!」 そんな思いに耽っていたとき、妹(ちなみに例外はこの妹のことだ)が悲鳴のような声を上げた。 「兄様、空が…」 三年前と同じように、妹が空を指す。 「あれは…」 三年前とは光景が違う。ただ、違うのは数だけ。 「ドラゴン!」 ドラゴンとフロワロの関係はすでに世界中に知れ渡っていると言っていい。 いくらかの町は既にフロワロの海に沈み、たくさんの人が命を落としている。 トライド達が住むトドワ山脈の麓はまだ侵食が浅い方だ。 所々フロワロが咲いてはいるものの、そこまで激しく咲き乱れているわけでもなかった。 ドラゴンも攻め入ってきた事がない……今、この瞬間までは。 「あのドラゴン、ここを狙っているみたいだ!」 ドラゴンの進路を確認したトライドは、戦慄した。 村には両親がいる。彼とて両親を嫌っているわけではない。 それに、自分は恵まれてはいなかっただろうが妹の育った場所だ。 フロワロに沈めるわけには、いかない。 それらを一瞬で判断し、トライドは走り出した。 「あっ、待ってください、兄様」 エステリアも慌てて兄の後を追う。 空の端に、黒くどんよりとした雲が広がってきていた。 ***** トライドのいた大樹は村の端にある。 村の中心、ささやかな広場に到達したとき、ひときわ大きな音が響いた。 ドラゴンの鳴き声! その音に負けじと空を仰いだトライドは、空から墜ちてくる大きな固まりを見た。 来た! ドラゴンだ! 「ドラゴンが来たぞ!」 村中がざわめく。そんなに大きな村ではない。全員がドラゴンの襲来を知っただろう。 ざわめきの中、村に滞在していたハントマンが2人、武器を持って飛び出てきた。 「ちいっ、こんなところでドラゴンってか!」 大剣を構える男と、その後ろですかさず印を切る女。 戦士と魔術師のコンビらしい。 二人の位置は、ドラゴンを挟んでトライドのちょうど反対側。 「加勢します!」 トライドが加わることによって、挟み撃ち状態になる……はずだ。 戦力になるかはともかく、ドラゴンの注意力を削ぐことは可能だろう。 ――そんな考えが甘すぎることを、一瞬のうちにトライドは知った。 きしゃー、と活字で書くと可愛いが実は恐ろしい鳴き声を上げ、ふわりとドラゴンが浮き上がる。 そのまま、ハントマン達に向かって低空を滑りながら、爪を振りあげた。 「危ない!」 時間にしてほんの一瞬。瞬きする間であったようにトライドには感じられた。 そして、その瞬間に、魔術師は大きな傷を負っていた。 しかしながら、流石にハントマン。ただではやられない。 「マナバレットぉっ!」 傷の痛みに耐えながらも、魔術師は術を起動する。 そして、戦士がその術に続いた。 「フォロアッ!」 魔力の弾丸に続けて、戦士の大ぶりな斬りつけがドラゴンをえぐる。 しかし、まだドラゴンは倒れない。 「大丈夫ですか?」 攻撃の間。先ほどは動けなかったトライドだったが、自分を取り戻した彼は その攻撃の間を今度は利用して、魔術師の側に駆け寄っていた。 「だ、大丈夫よ……」 魔術師はそう言うが、どう見ても致命傷に近い。 「じっとしていて下さい。治療します」 そのまま詠唱を続けようとした魔術師を押しとどめ、トライドは精神を集中した。 「貴方、癒しが使えるの?」 魔術師は驚いたようだが、そこは気にせず、トライドはキュアを唱える。 傷が少しずつではあるが塞がっていく。このままならば命の心配はしなくて大丈夫だろう。 ただし。 「おい、リーファ! 大丈夫なのか?」 戦士は一人でドラゴンの攻撃を防いでいた。 剣で流し、叩き落とし、しかし、一人の防御では限界もある。 何より、ドラゴンと人間の体重差だ。一撃の重さが半端ではない。 「おい、リーファ!」 トライドが癒していることは彼の眼にも写ってはいたのだが、 今、この場ならば何よりも優先するのはドラゴンの退治だ。 リーファと言う名らしい魔術師は、体を起こした。 「アルテが呼んでいる。行かないと」 トライドの癒しを拒否し、立ち上がろうとした。が、うまくいかない。 血が流れすぎたようだ。 仕方なしに、リーファは座ったまま印を切り始める。 「リーファああ!」 アルテが叫ぶ。そろそろ限界のようだ。 「マナバレット!」 ぎりぎりの状態から、リーファが術式を起動した。 魔力の弾丸は地面すれすれをドラゴンに向かって走り抜ける! 「よっしゃあ!」 アルテがその弾丸の後を追い、そして 「があっ……」 アルテの体が空に舞った。そのまま、近くにある家の壁にたたきつけられる。 「かはっ」 衝撃で、アルテの息が詰まる。口元には、僅かに血の赤。 「外れたのっ!?」 リーファは愕然とした。弾丸は、わずかにドラゴンを外れたのだ。 起き上がってこないアルテを放置して、ドラゴンはトライド達に向き直った。 この瞬間まで、トライドはリーファを癒し続けていたが、 ドラゴンの歓喜の鳴き声(恐らく、であるが)を聞いて、立ち上がった。 「癒しは完全ではありませんが、たぶん、歩くことは可能なはずです」 リーファにそう言って、槌を構える。 「時間を稼ぎます。その間に、彼を」 ちらり、とアルテを見る。意識はあるようだが、体が動かないようだった。 「……ええ、わかったわ」 リーファもハントマンだ。応急手当の心得くらいはある。 しかし、 「僕はあまり戦い慣れていないんでなるべく早くお願いします」 目の前の少年は、なぜ、そこまでできるのだろう。 いや、 「わかったわ。任せて」 今はそんな事を気にしている場合ではない。 アルテを回復させなければ、皆死んでしまうだろう。 「貴方、無茶しちゃダメよ。無理な場合は逃げなさい」 「わかりました」 そして、リーファはのろのろとアルテの方に向かう。 トライドは一人、ドラゴンと向き合った。 (これが、『災厄』) 心は意外に穏やかだった。戦いの高揚感も、未知なる恐怖もない。 使命感のようなものが、彼の心の中を占めていた。 「さあ来い、『災厄』のドラゴン」 静かに彼が言うと同時に、ドラゴンが動いた。 最初の傷が響いているのだろう。速くはない。 「ぐっ……」 ドラゴンの爪をなんとか槌で受け止めたが、この重さは何度も耐えられるものではない。 ドラゴンがうなり声をあげ、再び爪を振り下ろす。 その瞬間、影が横切った。 「きゅるるるぅぅぅぅ」 ドラゴンが悲鳴を上げる。その影は、ドラゴンの爪をへし折ったのだ。 影の主は、 「大丈夫ですか、兄様!」 間違えるわけもない。エステリアだ。 「お前、どうしてここに……」 トライドは唖然としている。 「村の人たちを避難させていました。全員無事です」 誇らしげに、エステリアは言う。 「それで、兄様が心配で戻ってきたんです」 正解でしたね、とエステリアは微笑んだ。 「兄様、私が前に立ちます。兄様は援護を」 エステリアは己の身長ほどもある大刀を構える。 「まったく、お前ってやつは……」 昔からこうだ。相手がドラゴンであってもそれは変わらないらしい。 妹は聡明すぎた。 聡明すぎるが故に、己の兄が置かれた状況をいち早く理解したし その兄に自分ができることはないかと探し続けていた。 だから彼女は兄が外出する時はほとんど一緒に出かけたし、 兄を守るために剣術も磨いてきた。 武の道を選んだのは、兄が癒し手を志していた事も大きいだろう。 曰く「兄様は人々を救う人。ならば私は、そんな兄様をお守りします」 そして今も、彼女は兄のために、ドラゴンの前に立っている。 「キシャアアアア」 爪がなくなってもまだ鋭い翼で襲いかかってくるドラゴンをすんでで避け、 エステリアは刀を振るった。 エステリアの頬と、腕に薄く傷が走る。 そして、ドラゴンの翼には、彼女の傷の何倍も大きな傷が走っていた。 ドラゴンが一瞬怯む。そこが機と、トライドの中の何かが感じた。 「うおおおおおおお」 槌を両手で握りしめ、トライドはドラゴンへと向かう。 そのトライドの横を、傷を気にもしないエステリアが併走する。 エステリアが横にずれた。ドラゴンの目が更に泳ぐ。 その正面から、トライドは跳んだ。槌を大きく振りかぶる。 迫る人間を確認し、ようやくドラゴンが正気になった。 トライドを叩き落とそうと翼を広げる。 が、エステリアの与えた傷が、ドラゴンの動きを鈍らせた。 「くらええええええっ!」 ドゴンッ! トライドの振るった槌は、ドラゴンの眉間を捉え、大きく陥没させた。 悲鳴が起きない。 トライドの着地をエステリアが油断なく見ていたが、遂にドラゴンは動かなかった。 立ったまま、ドラゴンは息絶えたのだ。 ***** 「今回は助かったよ」 村に一件だけの宿屋件雑貨店の、一部屋だけの宿泊部屋。 その中に、ハントマン二人とトライド達兄妹の姿があった。 ドラゴンを倒した、その数時間後のことだ。 ベッドの上に寝転がっているのはアルテ。 あの時、左の肩を外してしまい、更にあばらが二本折れていた。 流石の癒しの力も、骨を繋げることは容易ではない。 逆にリーファはほぼ完治している。 「あなた達は、どうして戦ったの?」 「こんな状態で言うのも何だが、俺達に任せて逃げても良かったんだ」 村の人たちみたいに、とアルテは続けた。 村人はエステリアが言うように全員無事だった。 ドラゴンの死骸を解体し燃やし、ほぼ普段の状態に戻っている。 「僕は、ドラゴンから人々を救うために生きていますから」 「私は、兄様を守るだけです」 兄妹は多くを語らなかった。が、ハントマン達には何かが通じたらしい。 「ドラゴンと戦うなら、ミロスの王都へ行くといい」 アルテが言う。 「そこには、カザンを奪還するためにカザンの住民が集っていると聞く」 「それに、大統領の見込んだギルドがいるとも聞くわ」 ハントマン達は知っている。 伝説のハントマン、ドリスの選んだギルドがミロスで眠り続けていることを。 「彼らが目覚めれば、あるいは、カザン奪還が始まるかもしれない」 そう言って、アルテはカザンがあるであろう方角を見た。 「いや、きっと始まるだろう。そこからが、人類の反撃になるはずだ」 「それまで、私達も頑張るつもりよ」 「しばらく養生だけどな。本当に今回は助かったよ」 ハントマン達は微笑む。 彼らに怪我はつきものだ。それが命に関わることだってもちろんある。 それでも、彼らは傷が癒えると再び立ち上がるだろう。 今のハントマン達は、名誉も、金も、二の次だ。 「それで、世界を一緒に救おうぜ」 アルテが右手を差し出してくる。 一瞬、躊躇したが、トライドはその手をしっかり握りしめた。 「兄様、ミロスへ行くつもりですか?」 「そうだよ」 翌日。既にトライドは旅の準備が整っていた。 「もうここには居られない。直接的な『災厄』が来てしまったしね」 昨日は大事を取って、アルテ達の部屋で一緒に眠った。 朝は日が昇る前から行動し、旅の準備を整えた。 村人に会わないためだ。 会えば何が起こるかわからない。 最悪、後ろから刺されるなんてことになるかもしれない。 だから、この村に残るわけにはいかなかった。 それに、道を貰ったのだ。座している訳にもいかないだろう。 「ミロスに行って、カザンの奪還に協力するよ」 「では、私も行きます」 トライドの言葉に間髪入れず、エステリアは言った。 「兄様を守るのが私の役目ですから」 それは、幼い頃からずっと言い続けてきた言葉。 覆せたことなど、一度もない。 「そっか」 「父様と母様にも許可を頂きました。一緒に行きましょう、兄様」 見れば既に旅の準備もできている。 (どこまで行動を読まれているんだか) 苦笑しながら、彼は言った。 「わかった。よろしく頼むよ」 ***** そうして兄妹は旅立った。 両親は泣きながら彼らを見送ったが、村人は誰も彼らを見送らなかった。 トライドは、それが当然だと思っていたが、そうではない。 村人達は、トライドに会わせる顔がなかったのだ。 『災厄』は来た。しかし、それはすべての人に降りかかったものだ。 ならば、トライドはいったい何をしたというのか。 一つ確実なものは、彼らが村を救ったということ。 『災厄の子』と言われた忌み子が、村の為に戦った。 村人はその事実に何も言えなかったのだ。 この村は、トライドが思っているほどドライではない。 むしろ人情豊かな村なのだから。 「頑張れよ」 村を立ち去るトライド達兄妹の姿を、窓越しにアルテは見つめていた。 7th DRAGON -The fate was led in three years- started....