第二章 異端の徒 ・その一 最古国の持つ膿 黒帝竜デッドブラック。 それがアイゼンに巣くったドラゴンの名前だ。 「確かにノワリーさんの言われたとおりでしたね」 「当然だ。今のアイゼンがアイゼンである元凶がアレだからな」 フィルが酷評したのは勿論ソウゲン王のことだ。 トライドたちは先ほど、ソウゲン王との面会に挑んでいた。 こんなとき頼りになるのは宮廷作法を学んでいるクーゼルヘルだが、 彼女の作法もソウゲン王の前では流石に凍り付いた。 なにせハントマンと言っただけで汚物扱いだ。 怒りを抑えて前を辞するのが精一杯だった。 そういう訳で、今はアイゼンの王宮の控え室(と、名前は付いているが実際はただの廊下の一部だ)にいる。 「まったく…アイゼンも落ちたものね」 怒り心頭のクーゼルヘルも、彼女にしては珍しく本気の悪態だ。 「それで、どうしましょうか」 文句だけでは埒があかないと判断したトライドは、皆に今後の行動についての意見を募ってみた。 「デッドブラックをぶっ倒す」 と、間髪入れずにクーゼルヘルが意見を言う。 「確かに帝竜の首を持って行けば奴だって目を覚ますかもな」 フィルも賛成のようだ。 エステリアは聞くまでもない。彼女はトライドに従うのみ。 「じゃあ、情報どおり南の洞窟に向かいましょう」 そう宣言したその時、 「お待ちください!」 一人の女性が彼らを呼び止めた。 ***** 「貴方がたはカザンからのハントマンですよね?」 質素ながら高貴そうな格好をした女性は、クーゼルヘルに向かってそう問うた。 クーゼルヘルが目配せするので、トライドが答える。 「そうですが、あなたは?」 女性はトライドに向かい直し、言った。 「私はアイゼンの第三皇妃です」 これにはトライドたち四人も流石に驚いた。 「びっくりされるのも無理はありません。私の姉たちは皆王と同じ、虚栄心の固まりでしかありません…」 第三皇妃は悲しげに言う。 彼女の言葉は嘘ではないようにトライドは感じた。 周りを見れば、皆同じ気持ちであるらしい。 「それで、何の用事があってここに?」 いらっしゃったのですか、こられたのですか、を躊躇するトライド。 皇妃は気にせず話を始める。 話を完全に聞いていないところはやはりアイゼンの王族か、とフィルは思うが口には出さない。 「貴方がたには、王の目を覚まさせて欲しいのです」 はてなを浮かべる四人。構わない皇妃。 「勿論、正式な依頼としてクエストオフィスに提出します。貴方がたにはそれを受けてもらいたいのです」 「具体的に何をすればいいのかしら?」 クーゼルヘルが口を挟む。 「民の意見を王に聞かせたいのです」 皇妃は言った。淀みのない声だ。 「それであの王の目が覚めるのかしら?」 意地悪くクーゼルヘルが言うが、皇妃は取り合わない。 「大丈夫です。王は民の現状を知らないだけなのです!」 そうして、トライドたちは皇妃からの依頼を受けることになった。 「無理だろ」 「流石に無理かと思います」 「無理に決まってるわ」 「…ですよね」 満場一致でソウゲン王が改心をしないと予想。 勿論、皇妃が去ってからのことだ。 「でも、皇妃さまはそれを完全に信じているようですけど…」 弱気にトライドが言う。 「まあ、彼女の目を覚まさせる意味でも依頼を遂行するのは有効だと思うわ」 「そうだな。皇妃もこの国の膿の深さを知るべきだろう」 クーゼルヘルにフィルが賛成する。この二人の意見がほぼパーティーの意見となる。 「それじゃあ、ソウゲン王に進言をする人を探さないといけませんね」 依頼を受けることは決定としてトライドが話を進めていく。 「虐げられている人たちと接触する必要があるわね」 「なら貧民街へ行くのが妥当だろうな」 フィルが提案する。 「じゃあ、そうしましょう」 トライドの鶴の一声には幾分か足りないまとめで、次の行き先が決定した。 ***** アイゼンの東には、貧民街、俗に言う掃き溜めが存在する。 貧富の差というものは、大きな都市にはよくある問題だ。 ミロスは表向き万人に門戸を開いているように見えるが、その実、住むための審査は厳しい。 故に住人間の格差は驚くほど少ないのだ。そこで平和を保っている節もある。 カザンは新興の国なのでまだ家が足りていない。 これはドラゴンの襲撃によるところも大きいだろう。 今は復興の兆しが見えているとはいえ、まだまだではある。 東大陸の三国に関して言うなら、一番貧富の差が激しいのがアイゼンだ。 流入民は貴族街に入ることさえ許されず、街の東に大きなスラムを形成している。 トライドたちは、その貧民街に足を踏み入れた。 「入り口を役人が見張っているとか、ヤな感じね」 クーゼルヘルが毒づく。 「まあ、盗みに入る人間も少なからずいるだろうしな」 フィルは一定の理解のようなものを示す。こういう場所で生きてきたことがあるのかもしれない。 ただ、フィル本人はそういう記憶を持ち合わせていないのだが。 彼は記憶を失っている。フロワロの影響らしいが定かではない。 確かなのは、三年寝て起きたら記憶を失っていたということだけだ。 オークザインなどはフィルの過去を知っているらしいのだが、あいにく他人のことをペラペラ喋るような人間ではない。 なので、フィルの過去についてはほとんどが謎のままだ。 が、今はそういうことが大事という訳ではない。 「とにかく、王に不満をぶつけられる人を捜しましょう」 トライドの声でメンバーはそれぞれの方法で人を探し始めた。 「冗談じゃないよ、そんなことをすれば殺される」 クーゼルヘルは道を歩く人間を捕まえては王への進言を提案するのだが、皆断っていく。 貧民街の生活は決して楽ではないが、死んでは元も子もないということだろう。 「ほんっと、ここの上は腐っているのね」 住民をここまで困らせるとは、為政者の顔を見てみたいものだ。 …すでに見ていた。二度も見たくはない。 「あ、そこのお姉さん、ちょっとちょっと」 そして、新たな人を見つけてクーゼルヘルは声をかけた。 「別についてこなくてもいいぞ」 トライドは言った。勿論、エステリアにだ。 「いえ、兄様を守るのが私の役目ですから」 エステリアはいつも通りだ。 街中では命の危険はないと思うけどなあ、とトライドは思うが、黙っておく。 「じゃあ一緒に探そう」 観念してトライドが折れる。いつものことだ。 その言葉を聞き、嬉しそうにエステリアは微笑んだ。 「兄様、それで、どうやって人を見つけるんですか?」 エステリアがもっともな質問をする。 「うーん、それっぽい人を捜せばいいんじゃないかなあ」 トライドの考えはクーゼルヘルよりいくらかおとなしい。性格だろうか。 「ほら兄様、あそこで黄昏ている人なんてどうですか?」 早速見つけるエステリア。 確かにそれっぽい人物が橋の上でため息などついている。 「よし、じゃあ行ってみようか」 兄妹は連れだってその人物の元に向かった。 フィルは一人、誰に声をかけるでもなくあたりをうろうろしていた。 (この街の空気、なぜか懐かしい) 柄にもなく一人感慨に耽ってみたりする。 フィルにとって過去の記憶がないことはさほど問題ではない。 このご時世大事なのは生き残る力だ。どうやら自分はその能力が高い、とフィルは自分を分析する。 自分の以前は盗賊だったかもしれないと、彼は思っている。 ただ、なんとなく。 しかし、漠然と理解もしている。 例えば、あの人の出入りがおかしいあの家などは、擬態しているのだろうが何らかのアジトだ。 出てくる人間はプロではなさそうだから、盗賊のアジトというわけではないだろう。 だとすればーー 「どうでしたか?」 夕刻、予定通り落ち合った四人は成果を報告し合った。 「一人、やってくれる人を見つけたわ」 得意げに言うのは勿論クーゼルヘルだ。 声かけ戦術の甲斐あって、一人王に物申したい人物を見つけた。 「で、あんた達はどうなの?」 主にフィルに向かい、クーゼルヘルは聞く。だが答えたのはトライドだ。 「僕らは特に収穫がありません」 「クロムさんの義父さんにはお会いしたのですけど…」 エステリアは多少げんなりしているようだ。 それもそのはず。あの橋の上に佇んでいたのは、話の長いことで有名なクロムの嫁の父親だったのだ。 おかげでトライド兄妹は、集合時刻まで延々話を聞かされた。 精魂尽き果てるのも無理はない。 「クロム、ねえ。元気かしら」 懐かしい名前になりつつあるその人物を、エステリアは少し心配した。 が、今は自分たちのことが大事だ。 フィルの方を向き、言葉を促す。 「大した収穫ではないが、クーデター派という者達と出会った」 「クーデターですが、あまり良くない感じですね」 「だが力は弱そうだ。無視していいレベルだろう」 「この国がどうなろうと知った事じゃないけど、今は人同士で争ってる場合じゃない事態って事くらい分からないのかしら」 頭の後ろを掻くクーゼルヘル。 「何にせよ、明日はクーゼルヘルさんにお願いしますね」 トライドが締め、四人は貧民街を後にした。 何せ貧民街には宿屋がないのだ。 ***** 主婦はうなだれた。 彼女の主張は王に届かないどころか、彼女の全てを否定されたのだ。 「まったく、あそこまでひどいとは思わなかったわ!」 「俺は思っていたが」 静かに主張したフィルにツッコミを入れ、クーゼルヘルは続ける。 「民あっての国じゃない。あれはあんまりよ」 沈んだ顔をする主婦に、クーゼルヘルが言う。 自分が連れてきた為、責任を感じているのだろう。 「あのう…」 そこに、第三皇妃が現れる。 「どうでしたか?」 一応、トライドは聞いてみた。 皇妃は主婦と同じようにうなだれている。 「まさか民を民と思わないとは…そこのお方にはなんと申し上げれば良いのか分かりません」 むしろ何を言っても逆効果だ。 「せめて何か謝礼を」 と皇妃は言うが、 「礼なんて貰ってもあの子は帰ってこないよ」 主婦はぴしゃりと断った。 「ですが、せめて」 皇妃は食い下がる。 「それならこの人達にやりなよ」 主婦は固辞する。王族から何かを施されるなど死んだ方がマシとでも言いたげだ。 「…わかりました」 皇妃は言い、トライド達に向き合う。 「どうかこれを役立ててください」 と、綺麗な丸い玉を差し出す。 「それでは、これで」 その玉を渡すと、足早に皇妃は立ち去っていった。 「ま、彼女にも良い薬だったでしょ」 クーゼルヘルが軽く言う。周りの心配をしての物言いだろう。 「とりあえずここを出ましょう」 トライドを先頭に、一行は王宮を出た。 「じゃあ、あたしは彼女を送ってくるわ」 クーゼルヘルは主婦を家まで送り届けに行った。 残された三人は、なんとなく皇妃から貰った玉を見ている。 「換金するか?」 フィルが言う。 「換金してあそこの連中に還元するのも手だ」 しかし、トライドはあまり乗り気ではない。 「でもそれは少し違いませんか?」 「確かに金だけでは何も変わらないかもしれんが…」 「何かほかに役立つときが来るかもしれませんよ」 そこにエステリアが割って入る。 「返すことも含めて、保留ということにしておきましょう」 建設的だかなんだか分からない結論に至った。 帰ってきたクーゼルヘルにその話をすると「そう」とだけ答えた。 「それよりも帝竜よ。ギッタギタにしましょう!」 もしかすると彼女の後ろに炎が立っていたかもしれない。 それほどクーゼルヘルの意気込みは大きい。 「異存はない」 フィルが賛成する。これで決定だ。 「なんだか動機が不純な気もしますが…」 と、前置きをして、トライドは言う。 「行きましょう。デッドブラック討伐へ」 そうして彼らは南に向かった。