○第三章 砂と雪の地 ・その一 始まりは港町 西大陸には、プロレマと交流するために使われる港がいくつかある。 その中の一つ、港町ゼザにトライドたちは降り立った。 「久しぶりの地面だから感触を確かめながら行くんだぞ」 船長にもらったアドバイスの通りだ。 揺れない足の感触に戸惑う。初めてのことだった。 「そりゃああれだけ長い間船に乗っていたのは初めてだからな…」 いまだにふらふらしているフィルが言う。 船は好きでも船に乗るのは苦手なのかもしれない。 「とりあえず、ネバンプレスの都を目指さないとね」 クーゼルヘルは乗り物には強いようだ。ただ、苦手ではあるのだが。 「情報を集めて、まだ日があるようなら出発しましょうか」 トライドがまとめるち、四人はこくりと頷いた。 「潮の匂いがします」 改めて、と言うべきか、エステリアがそんな感想を漏らす。 「船上で感じる風とはまた違った感じですね」 トライドも同じようなものだ。 「ただ、武具には良いとは言えないな」 フィルが短剣をくるくる回しながら言う。 「髪の毛にも悪いけどね」 海上ではほとんど船室に篭もりっきりだったクーゼルヘルも同調した。 「ミトラはどうなの?」 一行の最後尾を歩くヴェネミトラにクーゼルヘルが聞いた。 「…海も、潮のにおいも好き」 小声ながらそう答える。彼女は感情がないように見えるが、少ないながらも感情表現はある。 例えば、今のように喋る際に溜めがある時。 例えば、目線をさりげなくずらす時。 例えば、ルシェ耳がぶるっと震えるとき。 些細な行動に、彼女の感情のかなりの部分が乗っているといえる。 その感情に一番気がつくのは、やっぱりクーゼルヘルだ。 「ふーん」 言いたいことが分かったような顔で、ミトラの頭を撫でる。 ミトラはかなり小柄だ。今まではエステリアが一番小さかったが、それより一回りは小さい。 それでいて年齢的にはクーゼルヘルと同じ16歳なのだから驚かされる。 「それで、これからどう動くの?」 なでなで。くすぐったくてミトラは身震いした。 「だいたいの道筋は聞いてますけど、念のため情報収集をしようかと思います」 なでなで。 「そうね、じゃあ手分けしましょう」 「…お前とミトラは離した方がよさそうだ」 結局、三グループに分かれることになった。 一人グループなのはクーゼルヘルだ。 おそらく、一番一人で行動しても大丈夫なタイプだからだろう。 「情報って言ってもねえ…」 ぶらぶらと街中を歩いていると、波打ち際に佇む女性を見つけた。 「あら、貴女どうしたの?」 このあたり、彼女の面倒見の良さや積極性が表れているといえる。 周囲の服装よりか少し派手な出で立ちの女性は叫んだ。 エステリアは膨れている。その横にはフィルがいた。 「まあ、たまにはこんなこともあるさ」 慰めるつもりはさらさらないフィルが気楽に言う。 エステリアが膨れている理由は単純だ。トライドがいない。 トライドはヴェネミトラと行動をしているのだから。 「兄様…」 膨れから泣き顔になりかけたところでフィルは慌て、今度は本気で慰めにかかる。 「トライドの一番はいつもお前だろうさ」 その言葉は、エステリアには一番辛い言葉でもあった。 兄の、トライドの一番は自分ではない。 確かにフィルの言う一番の定義なら、間違いなく自分であると宣言できる。 ただ、兄の中の本当の一番は、今も昔も『災厄』なのだ。 毎度毎度、そのことを痛感する。 いつか災厄が去ったとき、兄様は私を一番にしてくれるだろうか。 生まれたときからトライドが一番だったエステリアはそんな不安を常に抱えていた。 「そんな時は食うに限るな、うん」 フィルが売店へ向かい、名産を買おうとしたら売り子の女の子に捕まった。 「まったく…皆さんどうしてこうなんですか」 苦笑しながら、エステリアはフィルの救出に向かった。 「ミトラさんは、西大陸の出身ですよね」 「そう。それと、ミトラと呼び捨てでいい」 「はあ…」 トライドとヴェネミトラは街の北側を回っていた。 既に海の達人から様々な話を聞いていたが、今欲しいのは陸の情報だ。 「ミトラさ…ミトラはこのあたりには詳しくないんですか?」 「南はあまり知らない。イクラクンは北の部族だから」 「なるほど。じゃあ北はお詳しいんですね」 「そう。それと、敬語もいらないわ」 「…はい」 そんな調子で歩いていると、一人の若い男と出くわした。 オークザインと同じくらいの年齢だろうか。屈強な体つきをしている。ハントマンかもしれない。 「こんにちは」 男はトライドたちを認めると、自ら話しかけてきた。 「こんにちは」 トライドが返し、ミトラは会釈をする。 「君たちはハントマンかい?」 「えっと、はい、そうです」 認めると、男は少し複雑そうに言った。 「君たちに頼みたいことがあるんだ」 ***** 「それで、成果はこういうわけね」 宿の一室、ではなく船室だ。 トライドたちは情報収集の後、船に戻っていた。 エステリアたちが買ってきた地図(とその他たくさんの品)を広げ、作戦会議だ。 「陸上を通るならここを通らなければいけませんね」 「大滑走ね。ミトラは通ったことがある?」 「通ったことはない。ただ、足を取られる地だとは聞いている」 陸路ではヨーバー大滑砂を越えなければ北へ進めない。 「海路という手もあるわ」 クーゼルヘルが指したのは西大陸を下からぐるっと回るルート。 「おいおい、ずいぶん遠回りをさせる気だな」 船長が口を挟む。 「だが、行くというなら断る理由はないぜ」 ニヤリ、と笑う。 「状況にも寄るが、この距離差なら海の方が早いだろうしな」 確かに、船の方が速さはあるし、トライドたちはさほど苦労はしないだろう。 「いえ、陸を行きましょう」 だが、トライドの決断は違った。 船長は驚いた顔だが、ほかのメンバーはやはりかとでも言いたげだ。 「あたりのドラゴンを蹴散らしながら進むつもりだろ?」 「はい」 フィルの一応の確認に、トライドは頷いた。 陸を行く理由は一つ。 ドラゴンに苦しめられている人たちを、少しでも多く救うため。 「まあ、そう言うと思ったわ」 クーゼルヘルもそのあたりは分かっている。 「だから、ここは二手に別れましょう」 クーゼルヘルのその言葉は、だからこそ衝撃だった。 「どういうことだ?」 フィルが言う。本当に疑問のようだ。 「ちょっと行きたいところができたのよ」 クーゼルヘルが壁際に視線をやる。そこには一人の少女がいた。 街でクーゼルヘルが出会ったあの少女だ。 「彼女、マレアイアから流されちゃったみたいなの。だからちょっと送り届けてくるわ」 少女は何かを言うのだが、それはトライドたちには訛が強すぎてわからない。 マレアイア特有の訛から一つの言語、マレア語とよばれる言葉だ。 「言葉がわかるのはあたしだけみたいだから、助けてあげたいのよ」 クーゼルヘルはマレアイア出身なので、マレア語を話すことができる。 マレアイアは西大陸から少し南西に下った場所にある群島国家だ。 歌姫発祥の地であり、さらに最高の歌姫が国の治世を取り仕切っている。 クーゼルヘルもその地に数多い歌姫の家系に生まれた。 彼女の場合は修行と称して旅をしているが、そういった歌姫も数多く存在する。 だが、マレアイアは女性のみの閉鎖的な国であるから、国民は他国民との交流がほとんどない。 その少女は歌姫でないただの一国民なのだろう。 マレアイアを出ることのない者は、共通語など使わなくても生活できるのだ。 「ついでに帝竜の情報なんかも手に入れば万歳じゃない?」 不安そうにしている少女に笑顔を向け、クーゼルヘルは更に言う。 自分の行動に付加価値をつければ、別れて行動しやすい。 「確かにそうだが…どうする?」 フィルが聞く。 クーゼルヘルは貴重な戦力だ。戦歌はどれほど皆の助けになっていることか。 「そうですね…」 トライドは考えた。 クーゼルヘルが抜けることによる戦力ダウンについてではない。 気になるのは、彼女が一人で向かうということだ。 ふと、クーゼルヘルの連れてきた少女を見る。不安が体に満ちていた。 続いて船長を見る。見るからに屈強な海の男は、ニヤリと笑った。 全てを見透かしているかのようだ。 「わかりました。別行動で行きましょう」 その二人を見て、トライドは決心した。 「ありがとう、トライド」 クーゼルヘルが感謝を述べる。 「いえ、彼女を無事に送り届けてくださいね」 勿論よ。クーゼルヘルはいつものように言った。 夜。甲板。幾多の星の下。 クーゼルヘルとエステリアが共に海を見ていた。 「少し、寂しいわね」 幾時かの沈黙の後、クーゼルヘルが口を開いた。 「そうですね」 エステリアも頷く。 個々には、それぞれに目的がある。 エステリアはトライドのために剣を取る。 フィルはドラゴン全ての殲滅を欲する。 トライドはドラゴンの驚異から人々を守る。 ヴェネミトラはトライドと行動するよう言われているだろう。 クーゼルヘルの現時点での目的が皆と少し違っただけだ。 「まあ、すぐに会えるわよ」 いつも通り気楽にクーゼルヘルが言う。 トライドはパーティを分けるにあたり集合場所を定めた。 西大陸中央にある都市バ=ホだ。 内地ではこの都市が物流の拠点であるらしい。 ただ、ヨーバー大滑砂にドラゴンが出るようになってからは、その流通も途絶えている。 現状、内地の情報は、驚くほど少ないのだ。 だから比較的集まりやすい中核都市を集合場所に選んだ。 期間内に合流できなかった場合は、どちらかが先にネバンプレス首都を目指す手はずだ。 「そうですね。今までもあっと言う間でしたし…」 エステリアは思い返していた。 村へのドラゴンの襲来から始まった一連の出来事を。 クーゼルヘルも同じように思い返していた。 ギルド加入までの道。そして、ギルド加入からの道を。 「バ=ホでは、お土産を用意して待っているわ」 「いいものを期待しますね」 そう言い合って、二人は笑った。 ***** クーゼルヘルを乗せた船が水平線の彼方へと消えるころ、ようやくトライドたちは動き出した。 「さて、と。まずは大滑砂を越えないとな」 「砂漠越えには色々と準備がいる」 一同はミトラの言うとおり、砂漠に適した装備を求め、雑貨店へと向かう。 「…いらっしゃいませ!」 店主の女性は、とびきりの笑顔で彼らを迎える。 「砂漠を越えるためには──」 ミトラの知識とトライドのつたない知識を元に、砂漠越えの装備を整える。 店主も協力してくれた。どうも最近は景気が悪いらしい。 考えてみれば大滑砂も海も、ドラゴンが出現してからは人の行き来がめっきり減った。 つまり、 「また来てください…絶対に!」 店主の声を背に、トライドたちは店を出た。 そこで、男と出会う。 「やあ、昨日の人だね」 昨日、トライドとヴェネミトラの出会った男だ。 「こんにちは」 トライドが挨拶し、ミトラは会釈、エステリアはお辞儀。 フィルに至っては一瞥しただけだ。 「兄様、この方は?」 知り合いだからこその声の掛け方だったが、エステリアはこの男を知らない。 「この人は記憶喪失で困っているらしいんだ」 兄は妹に言った。 「ええと、本当ですか?」 「本当ですよ」 本人も認めた。フィルが舌打ちをする。 「まさかキャラが被るとはな…」 「そういうところを気にする方が驚き」 ミトラのツッコミにちょっと呻き、フィルは黙った。 「何か記憶のきっかけになるものを探す約束をしたんだ」 兄は妹に昨日の出来事を説明する。 どうやら男は元々ハントマンであること。 そして、この街に流れ着いたこと。 「旅のハントマンに聞けば何かわかるかもな」 フィルが言う。 「そのつもりです」 トライドは答える。 フィルも目覚めた当初は様々な事を試したものだ。 どれも不発に終わったのだが。 「君たちの旅を阻害してまで記憶を取り戻そうとは思ってないよ」 特に不自由などはしていないから、と彼は笑った。 なんだか曖昧な笑みだった。 「さあ、行きましょう」 クーゼルヘルに遅れること半日。 トライドたち「陸路」のメンバーは、砂漠へと足を踏み出した。