○第三章 砂と雪の地 ・その三 崩壊した都市 そこは言うならば、地獄絵図。 ドラゴンが徘徊し、ドラゴンに食われた者の霊が徘徊し。 ドラゴンと霊が斬り結び、斬られた霊は霧散し、斬られたドラゴンはまた立ち上がる。 そこは言うならば、地獄絵図。 そんな場所に、彼女は一人たどり着いた。 鞭打たれた霊が頭を垂れ、彼女の元にひざまづく。 「あたしを守りなさい」 霊に命令をして、クーゼルヘルはため息をついた。 ここは、バ=ホ。トライドたちとの合流地点…のはずだ。 話に聞いた場所とは、かなり、いや、明らかに違う。 バ=ホは完全に都市としての機能を失っていた。 住民は逃げ出したか死に絶えたか。どっちにしろこの惨状では生きてはいないだろう。 彼女と共にここまで来てくれた水兵は、任務完了とばかりに逃げ出した。 一人残ってくれた者はいたが、その者は探索に出たきり帰ってこない。 諦めるより他はなかった。 「さて、トライドたちはいつになったら着くのかしら」 霊を何人も従え、クーゼルヘルは今日も街を探索する。 ドラゴンとはなるべく戦わず、そして、霊はなるべくこちらに引き入れて。 「止まれ」 クーゼルヘルの号令に、霊がピタリと動きを止める。 この霊たちは、クーゼルヘルが恐怖を与えることにより操っている。 その様は、さながら死霊都市の女王のごとく。 彼女の命令は絶対だ。 (何かが、いる) 毎日、生き残りを探してクーゼルヘルは街を探索していた。 もしかすれば、生き残りの住人がいるかもしれない。 たとえそれが絶望的な確率であったとしても、彼女は諦めない。 きっと、彼女たちのリーダーは諦めないはずだから。 しかしながら、住民は見つからず、たまにこのような気配があったとしても 「飛び出た瞬間に一斉攻撃」 まず敵だ。小声で指示を出す。 ガタンッ 物音は彼女の背後で響いた。まったく無警戒。 (複数!?) クーゼルヘルが後ろを振り向いた瞬間、 「うおおおおおっ!」 先ほど気配を感じた物陰から、人影が飛び出た。 同時に四方からも人影。 「くっ…」 身近の霊に自分を守るよう命令し、そこで彼女は気づく。 人だ。 今クーゼルヘルを襲っているのは、紛れもなく生きた人間だ。 「ちょっ…止めて! 攻撃を止めて!」 声を上げるも、戦いの喧騒にかき消される。 「もう…なんなのよ」 大きく息を吸い込み、少し停止。そして、 『戦いを止めなさい!』 凛とした声が辺りに響き渡った。 ***** ここが、バ=ホ? 四人は四人が同じ考えだったに違いない。 砂漠の蜃気楼を越え、たどりいたそこは廃墟と化していた。 崩れた門を見て、ミトラが言う。 「バ=ホは綺麗な街だった」 フロワロが消えていく光景ほどではないけれど。 「これほど大きな街が…」 カザンほど、とまではいかないが、それに準ずる規模だ。 犠牲はいきばくだっただろうか。 「兄様、どうしますか?」 エステリアが聞く。答えは知っていた。 「クーゼルヘルさんもまだのようだし、生き残りの人を捜そう」 予想通り。 三人ともがそんな顔をして、トライドの後に続く。 トライド、エステリア、フィル、ヴェネミトラと門をくぐり、そして、いきなりドラゴンと遭遇した。 「おいおい、この街はドラゴンの巣かよ」 フィルが短剣を抜き先制の攻撃を仕掛けようと動いたその時。 人影が、ドラゴンを一瞬のうちに囲む。 「なんだ?」 その十名ほどもいそうな人影は、一斉にドラゴンへと襲いかかった。 決着は一瞬。 捨て身の攻撃が殺到してはドラゴンもひとたまりない。 瞬間に躯となった。 「兄様」 「ああ、まだだ」 エステリアとトライドが敏感に反応する。 ドラゴンが起きあがった。 「なんだこりゃあ」 フィルが声を上げる。ミトラも声には出ていないが驚いているようだ。 脳天を貫かれ、幾数の剣身に刺しつつも立ち上がるドラゴン。 そんなドラゴンは見たことがない。 「ミトラ、炎を」 どこからか、声。懐かしい響きを持った声だ。 ヴェネミトラは印を切り、炎の礫をドラゴンにぶつける。 炎の柱が上がり、ドラゴンは燃え尽きた。 「やった、か?」 警戒するフィルに、 「ま、しばらくは大丈夫よ」 声を掛けたのは、クーゼルヘルだった。 「「「「クーゼルヘル」!」さん!」」 皆が彼女の名を呼び、その元へ集う。 「先に着いていたんですね」 「まあね、けっこう予定通りよ」 クーゼルヘルが先に到着するのは事前に分かっていたことだ。 船と歩きでは速さが違う。 「まあ、立ち話もなんだから行きましょ」 彼女はそう言い、四人を先導して歩き出した。 「しっかし、バ=ホが崩壊してるとはな…」 改めて、フィルが感慨を以て呟いた。 「生き残りの方はいるんでしょうか?」 トライドが疑問を呈する。 「生き残りはもういないと思うわ。皆脱出したか、死んだ」 それにはクーゼルヘルが答えた。 「? どうしてわかるんです?」 当たり前のように沸く疑問。 「知っている人がいるもの」 その意味は、扉を開いたときに明らかになる。 「よお、久しぶりだな」 クーゼルヘルが先導した先、その廃墟には、数名の人間がいた。 格好を見るだけでわかる。ハントマンだ。 そのハントマンたちの中に、一人知った顔があった。 「クロムさん?」 カザン奪還の際、共に戦った同士の一人がそこにいる。 「そうだぞ。忘れた訳じゃあるまい」 そう言って、クロムは笑う。 「クーゼルヘルの言ったとおりだな。ずいぶん風格が出たな、トライド」 「いえ…クロムさんはどうしてここに?」 「まあ、話せば長くなるんだがな…」 と、そこである事実を思い出すトライド。 「じゃ、じゃあクーゼルヘルさんから話して貰っていいですか?」 周りから笑い声。クロムの長話はここでも有名だった。 「わかったわ」 クーゼルヘルがおほん、と咳払いしてから話し始める。 クロムはカザン戦後、ひとつのギルドに所属した。 そのギルドの名は『誓いの種』。今ここにいるハントマンは皆がそのギルドメンバーだ。 彼らの目的は西大陸だった。 『誓いの種』は初めから西大陸の調査およびその地のドラゴン狩りを目的としたギルドなのだ。 だからクロムは、そして他のメンバーもこのギルドを志願した。 そうしてこのバ=ホにたどり着き、そして、今もここで戦い続けている。 「今も、って…どれくらい戦い続けてるんだ?」 フィルが疑問を呈する。確かにそうだ。 トライドたちは既にデッドブラックを倒している。 それに、大滑砂のフロワロだって払った。 その時間を考えれば、バ=ホのドラゴンは全滅していてもおかしくない。 「それなんだが、ここは何かがおかしい」 眼鏡をクイッと上げながら魔術師らしき男が言った。彼がリーダーらしい。 「ドラゴンが、倒しても倒しても復活してくるんだ」 ***** バ=ホに働いた特殊な力が何であるかを説明するのは難しい。 事実だけを述べるならば── バ=ホは、死する者が再び動き出す地となっているということだ。 「つまりは、ドラゴンが倒しても倒しても復活してくるのよ」 クーゼルヘルの言葉でトライドは深く納得した。 なんと言っても先ほどのドラゴン、死んだはずのドラゴンが起きあがってくる現象。 あれはいわゆるゾンビというものだろう。 「ってことは、俺たちも死ねば」 「勝手に歩き出す、ってことさ」 眼鏡の男が言った。 「俺たちの仲間だった奴も何人かは今もそうやっているだろうさ」 若干の後悔と自嘲のある言葉だった。 「…ドラゴンの餌の方がまだマシだ」 質問者だったフィルが吐き捨てるように言う。 「現象の原因が分からない限り、解決はできないと思う」 眼鏡が疲れた顔を見せる。誰もが疲れていた。 そして、その言葉からは、原因が分かっていないことも読みとれる。 「ネバンの部隊の協力が取り付けられればまた別かもしれないのだが…」 「ネバンプレスは部隊を派遣していないのですか?」 「いや、過去に一度だけ派遣されてはいる」 ネバンプレスの部隊は、一部隊だけが派遣され、その兵たちは今はいない。 正確には生きてはいない。街中をさまよっていることだろう。 「なら、僕たちがかけ合ってきます」 トライドが言った。 「どうせ首都へ行くんだ。ついでに話をすればいいだろう」 フィルも言う。 「すまない。頼む」 眼鏡が頭を下げた。 「クーゼルヘルは、どうするんだ? 残るのか?」 クロムが口を挟んだ。 クーゼルヘルは彼らと出会って後、ここ最近は共に行動をしている。 彼女が抜けることは『誓いの種』にとっても正直痛い。 「あら、勿論私はトライドたちと行くわ」 そんな杞憂をものともせずクーゼルヘルは言う。 「そう言うと思ったよ」 クロムは納得した顔で言う。内心はどうだかわからない。 「きっと、増援を約束します!」 トライドは言い、眼鏡の魔術師と握手を交わした。 その夜は、バ=ホで一晩を過ごすことになった。 ドラゴンが、死霊が徘徊しているものの、安全な場所は多い。 クロムたちの功績だろう。 「ミトラ、ここから首都へはどう行く?」 「北へまっすぐ行くと街道に出る。あとは道なり」 ミトラは各々の疑問に的確に答える。 「砂漠からいきなり雪景色になるから気をつけて」 それに、補足だって的確だ。 「あ、そうそう。砂漠の入り口には監視キャンプができてるぞ」 同席しているクロムが言う。 「休息と補給くらいなら提供してくれるだろう」 そもそも砂漠では、と先を喋ろうとしたクロムにクーゼルヘルがかぶせる。 「や、こっちにはネバン出身者がいるから心配は無用よ」 ね、ミトラ、とクーゼルヘルが目配せすると、いつもどおり無表情にミトラが頷く。 絶好の講義機会を失ったクロムはがっかりと肩を落とした。 「それでは、僕らは行きます」 翌朝早く、トライドたちは出発した。 「ルシェ王には増援の件、かけ合ってみます」 「すまない。よろしく頼む」 眼鏡の魔術師が頭を下げた。 「死ぬなよ」 「そっちもな」 クロムとフィルが互いの手を叩き激励する。 「では、行きますか」 クーゼルヘルが先頭に立って歩き出した。 ***** 帝国キャンプを越えれば、一気に雪の降る気候となった。 そのあまりの変わりように驚きながらも、ひたすら北上すれば、そこに湖。 「対岸にあるのがネバンプレスの都」 ミトラが指す方向には、おぼろげだが人工物らしき物体。 「で、どうやって湖を越えるんだ?」 フィルが聞いた。 当たり前のようにミトラは答える。 「歩いていく」 確かに歩いた。湖を。 「ネバンは万年氷に閉ざされている。だから、水も凍る」 湖は非常に広く、所々氷の薄い場所はあるものの、基本的に歩き渡ることが可能だ。 気候により道は変わるので、そのあたりは熟練された目が必要となる。 ミトラはそういった教養も修得しているようだ。すたすたと進んでいく。 「ん?」 フィルの足が止まった。 「どうかしましたか?」 トライドが聞く。 「水底で何かが光ったような気がする」 細められたフィルの目が、湖の底を探る。と、見つけたらしい。 「あそこだ。ほら」 指さす方向には、確かになにかが存在を主張して光っている。 それは、とても小さな光だった。フィルでなければ見つけられなかったに違いない。 「しかし、どうやって取ればいいんでしょう」 トライドが疑問を呈する。 クーゼルヘルがあっけらかんと言った。 「フィルが潜ればいいのよ」 「いや、これは流石に凍えるだろう」 フィルが反論するも、クーゼルヘルは不適に笑い、 「大丈夫よ。良い策があるわ」 自信満々に言った。 「フレイムヴェイル」 ミトラの声と共に、フィルの体から炎が吹き出した。 「おおー」 トライドとエステリアから、感嘆の声が上がる。 「これなら、水の中でも寒くないかもしれませんね」 と、エステリアが言った瞬間、フィルの姿が消えた。 「あ…」 クーゼルヘルがしまったという顔つきになる。 「氷を溶かしちゃうことすっかり忘れていたわ」 トライドとエステリアの顔が青くなった。 「これは効果が切れるまでフィルは水の中かしら」 クーゼルヘルの言葉を聞いたミトラが大丈夫と目配せをした。 嫌なよかんしかしない。 そして、当のフィルは、とりあえずその沈む物体を目指していた。 空気を吸いためる間はなかったが、そこは盗賊。呼吸法が違う。 そうして光る物体にたどり着いた。 (これは…鎖か?) いかにもクーゼルヘルの好きそうな鎖じみたものだ。 (とりあえず引き上げるか) 片手にその鎖の物体を持ち、フィルは上を目指した。 特に何かが起こるわけでもなく、無事に水面に顔を出す。 「あ、フィルさん」 最初に気づいたのはエステリアだ。 「見つけたぞ。ほらよ」 フィルが投げてよこしたそれは、鎖を編まれた兜だった。 「あらら、こんなものが落ちてるとはね」 「誰かの遺品でしょうか?」 「怖いこと言うわねあんた」 「しかし、この兜はルシェ用ではない」 「あ、本当ですね。耳を出すところがありませんよ」 といった会話を、フィルが水中から聞いている。 「俺はいつここから出ればいい?」 もっともな疑問だ。 それには、ミトラが答えを出した。 「フリーズヴェイル」 フィルを包んでいた炎が、一瞬の内に掻き消えた。 ***** ネバンプレスの首都は、城塞都市だ。 何の必要性だったかはわからないが、とにかく壁が厚い。 特に外壁は、侵入者など一人も許さないという凄みで立っていた。 「君たちが『偉大なる風』か。お噂はかねがね」 意外なことに、門番はフリーパス状態だった。 門戸は広いらしい。 と、思ったが、次に来たピンク色の髪をした男は止められていたので、書状の力か。 早速、書状をルシェ王に届けるべく、王城へ向かった。 「諸君らが『偉大なる風』か」 威圧感を以てルシェ王がトライドたちを迎える。 「僕たちは、世界協定の締結のために来ました」 書状を差し出すと、ツンツン髪の男がそれを受け取り、封を開ける。 「確かに、世界協定のお誘いだな」 文章を読み、それを隣の女ルシェに差し出す。 「ふむ」 女ルシェもそれを読み頷いた。 お付きの兵士がようやくルシェ王に書状を渡した。 「なるほど。協力は約束しよう」 大仰にルシェ王は頷く。 「本当ですか!?」 トライドは前のめりになりながら、確認する。 「ただし、条件がある」 そんなトライドに対してニヤリと笑い、ルシェ王は言った。 ルシェ王は、トライドたちの実力を知りたいと言う。 その為に、砂漠に巣くう帝竜フレイムイーターの退治を依頼してきた。 いや、依頼ではなく、命令や試練といった類のものだろう。 その提案は、トライドたちにとっては願ったりのものでもあった。 「帝竜は全て倒す」 いつか言ったフィルの言葉だが、皆同じ考えなのだから。 「わかりました」 了解の旨を伝え、更に言葉を繋ぐ。 それは、彼の地でいまだ戦い続ける同士のため。 「あと、これはお願いなのですが、バ=ホに援軍をお送りしてもらえないでしょうか」 クロムたちと交わした約束だ。 「フレイムイーター戦線は割けないが、考慮しよう」 ルシェ王は言った。 それでは困る。今必要なのだ。 トライドはバ=ホの現状と『誓いの種』の事を話す。 「手練れ何名かだけは早急に派遣することを約束する」 現状を知ったルシェ王はそう約束してくれた。 「諸君らがフレイムイーターを倒せば更に兵を送ることを約束しよう」 「感謝します」 とりあえずはこれでクロムたちの労力が少し減ることを、トライドは期待した。 「じゃあまずは、フレイムイーター討伐だな」 フィルが言う。 「そうですね、早急に帝竜を倒しましょう」 トライドの言葉に皆が、それこそ王の間にいた皆が同意した。