○インターミッション  ・一人旅 少しだけ時間を巻き戻してみよう。 「いやー、遂に一人旅になっちゃったわね」 クーゼルヘルは船上でひとりごちた。 ゼザでトライドたちと別れ、一人海路の図。 ただし、お供はいっぱい。 「こらこら、お供とか言わんでくれ」 船長が呆れ気味に言う。壮年の男性だ。 腰に帯剣しているところを見るに、戦士でもあるはずだ。 「まあ、これから向かうのは歌姫の島だし、いいんじゃないの?」 今から向かうのは南国マレアイア群島国。 クーゼルヘルの故郷である女性だけしか入れない国だ。 「とは言っても、俺たちは入れないじゃないか」 船長はなかなかに食えない。 だが、クーゼルヘルはそれ以上に食えない。 「女装でもすれば?」 ただ、彼女の弱点はまだまだ少女であることだ。 すなわち、経験値が少ない。 船長の女装姿を想像して、彼女は吹いてしまった。 「自分で言っといてそれはないだろ…」 結局、彼女の自爆で幕が下りた。 しかし、こうしていると、暇だ。 船室で一人思う。 潮風が気になるので、あまり甲板には出ない。 それが自分の為だと思い、今も実行している。 だって、マレアイアに居たときは、それはひどいものだったから。 「ねえ」 ノックの音と共に現れた少女。 マレアイアから一人流されてきたという少女。 彼女を送り届けるため、クーゼルヘルは皆と別れたのだ。 「どうしたの?」 自分より幾ばくか年は上だろうその少女に、クーゼルヘルは笑いかける。 「この船には、女の人はいないんですか?」 少女が問う。 (そうだった。この娘はマレアイアから出たことがないんだ) だから、男という存在を認めづらい。 いや、認めてはいるのだ。認めては。 ただ、マレアイアに男は入れない。 その事実だけが先走りをしていることもある。 『男性がいない』 それを頼りに、男性を極端に嫌う人物や、男性不信の女性が集ってくる。 女王セティスは、そんな流入民を全て受け入れている。 それは、女性のためのマレアイアならば当然の事。 しかし、その流入民である彼女たちの声で、噂ができることもある。 マレアイアの民は男性に対して偏見が植え付けられていても不思議はないのだ。 「船員の中には女性もいるわよ。紹介してあげるわ」 船乗りたちは世界を旅しているため、中にはマレロ語を喋ることのできる女性もいるだろう。 それを期待して、クーゼルヘルは女水兵たちの元へ向かった。 ***** クーゼルヘルは男性を『子を作るための道具』としか見ないような家に生まれた。 良質な子を生むため、父となる男は出来のいいものを選ぶ。 それは容姿であったり、頭脳であったり、唄の力であったりする。 ただ、都合良くそんな男を見つけることはできない。 そのため、ここ数世代はプロレマが仲介として男を選別するようなことを行っていた。 家の者にとって、男はそんな『道具』でしかない。 クーゼルヘルも、そんな環境で育ってきた。 そして、家を継ぐことのできる者は一人だけ。 他の姉妹はマレアイアの外に放り出される。 もしくは、一生を当主のために捧げることになるのだ。 クーゼルヘルの代は女が二人だったので、どちらかが家を出される。 優しい姉は傾倒していた。無意識下に男は自らに使われるべきものだと思っている。 自分が居ることで、姉を外の世界に出すわけにはいかない。 そして、姉を自らの下使いなどにはしたくない。 だから、クーゼルヘルは家を出た。継承権を放棄したのだ。 幸い、昔から外の世界の物語をたくさん読んでいたので、姉よりは世界を知っていた。 まあ、そういった物語も作られたものであることは承知していたのだが、それでも、 『自分の家の思想よりは世界に近かった』のだ。 時には恋愛譚なども読んだが、家の人間などが読んだら卒倒するか、怒り狂うに違いない。 不思議と、そういった物語には響かなかった。 しかし、ひとつ、彼女に大きく感銘を与えた物語のジャンルがある。 それは、英雄譚。つまりは冒険者の物語だ。 翼ある民の築いた古代文明を求める話、地底の大魔王が地上を占拠せんと攻め込む話。 色々なものがあった。 クーゼルヘルが思ったのは、自分も英雄のサポートがしたいと、そういうことだった。 自分が英雄になるわけではない。 自分は、人を支える側だ。そう確信した。 そして、そんな自分になるため、ハントマンを志した。 クーゼルヘルにとって、家を出ることは必然でもあったのだ。 現実は厳しかった。 歌姫だからといって、すぐにギルドに入れてくれるわけでもない。 自分より腕のある歌姫など多数いることは自覚していた。 が、ここまで加入できるギルドがないとは思っていなかった。 カザンに滞在するだけでも路銀は減っていく。 これはもう自分でギルドを作るしかないかと考えていたとき、『彼ら』と出会った。 オークザイン、フィル、カルティナの三人だ。 彼らは物理攻撃型ばかりだった故、魔術師を捜していた。 が、クーゼルヘルを見てピンと来たという。 なにがピンと来たのかはわからないが、そういう経緯でギルドに加入。 その後、ドリスの意向でドラゴンの調査団に命ぜられ、今に至っている。 オークザインは実直で、いかにも騎士だ。 だが、リーダーとしては申し分なかった。 カルティナはそんなオークザインを慕っているようだった。 まあ、それは明らかになったわけだが、いいコンビだと思う。 彼女は優しい。過去はあまり語らないが時々憂いを帯びた目をしている。 それに気づいているのはクーゼルヘルくらいのものなのだが。 フィル。フロワロの毒のせいでか記憶を失ってしまった男。 正直に言うなら、記憶を失う前のフィルは少し恐ろしかった。主に、目が。 彼は暗殺者かというくらいの冷徹な目をしていたし、性格も冷え切っていた。 なぜかオークザインとは馬が合っていたが、カルティナは一歩引いていたように思う。 だが、今の彼はそんな冷徹さがずいぶん薄れたようだ。 今の方がまだ好ましい。 ギルドメンバーといえば、クーゼルヘルの後にも加入した者がいる。 トライドにエステリア、それにヴェネミトラだ。 トライドとエステリアは、クーゼルヘルにとっては羨ましい存在でもある。 ああいった兄妹関係を、自分も姉と築けたなら── 時々、そう思わずにはいられない。 二人はとても好感の持てる人物だけに、尚更だ。 そして、ヴェネミトラ。彼女との旅はまだずいぶん浅い。 ただなんとなく、自分に合うような気がしてしまう。 これがピンと来た、というものなのだろうか? ただ一つ言えることは、その中の誰も今は一緒にいないということだ。 「まったく、なに感傷に浸ってるんだが」 薄笑いしてそんな思いを一蹴した。 姉さん、どうやらあなたの妹は大切な仲間ができたみたいです。 それを貴女は喜んでくれますか? きっと喜んでくれますよね。 ***** 「魔物だ、構えろ!」 船長が大剣を構えるのと同時に、他の船員も同じく曲剣を構える。 海にはドラゴンがほとんど現れない。 代わりに、というわけではないが、海生物は地上よりも凶暴だ。 フロワロが海面にしか咲かないということも影響しているのかもしれない。 兎も角、海を進めば魔物と出くわす。 酷いときには一日に何度も何度も、進路を邪魔されるのだ。 「嬢ちゃん、頼むぜ」 船長が言う前から、クーゼルヘルは既に戦歌を歌い始めている。 聞く者に力を与える戦歌は、歌姫の持つ特別な能力だ。 「うおおおぉぉぉぉ!」 船長自らが魔物に襲いかかり、船員たちがそこに続く。 戦歌のおかげもあって、短時間で決着がついた。 「流石英雄ギルドだな」 魔物を処分し進もうと言うときに、船長がポツリと言った。 「あのねえ、私は英雄なんかじゃないわよ」 しかし、クーゼルヘルはそれを否定する。 彼女にとって英雄はなるものでなく、助けるものだから。 英雄と呼ばれるのは、トライドやオークザインのような存在なのだから。 「ああ、そうかい」 船長はその発言には口を出さずにいてくれた。 そうして繰り返し繰り返し魔物と戦ううち、いつしか水平線の果てに三本の塔が見えた。 「神の塔!」 マレロ語のできる水兵と話をしていた少女は、目を輝かせた。 「もうすぐマレアイアだわ!」 興奮に言葉が荒くなる。無理もない。ようやく帰り着くのだ。 「神の塔…」 それよりも少し遅く、クーゼルヘルも同じように神の塔を見ていた。 マレアイアの守りを一手に引き受けるその塔を。 (あれ? 何かがおかしい?) 塔を見つめていると変な感覚が起きたが、 (まあ、いいわ。アレは神聖なるものだもの) と、一人納得した。 更に魔物の攻勢をしのぎ、一行は遂にマレアイア群島国、その本島の目と鼻の先まで来た。 「ここからは女の世界よ」 明朝はいよいよ上陸という夕べ、クーゼルヘルは船員を全て集めて言った。 「あたしはこの子を送り届けるけど、他に何かすることはあるかしら?」 「マレアイアの子を紹介してくれ」 「却下」 即座に答えた。 「じゃあ、あの塔について何かあったか聞いといてくれ」 船長が言う。 「神の塔?」 「たぶんそれだ。何か嫌な感じがしたからな」 「わかったわ。聞いておく」 自分の感じたあの感覚は間違いではなかったかもしれない。 クーゼルヘルはそう思いながら、マレアイアに上陸した。 ***** 数年の間に、マレアイアも少しは変わっただろうか。そんなにすぐにはわからない。 「ま、とりあえずはセティス様に挨拶しておくかな」 マレアイアの女王セティスは皆から慕われる良い王だ。 クーゼルヘルの家はそれなりに女王と繋がりもある。 やはり有力な家柄は王家に近い。 いや、このマレアイアに限っては「歴代女王」に近いと言うべきか。 マレアイアの女王になるには家柄など関係なく、歌の力が全てなのだから。 だからセティスはマレアイアでは一番の歌い手だ。 そんなセティスも、クーゼルヘルの才を買ってくれていた。 結果として裏切ってはいたが、クーゼルヘルはセティスを奉じてはいる。 せっかく来たことだ。挨拶と、神の塔に関することも聞いてみようか。 そうして彼女は宮殿へ向かった。 「アルジェロンの次女、クーゼルヘルです」 女王セティスは微笑みながら言った。 「クーゼルヘル、久しいですね。何年ぶりかしら?」 「さて、私とセティス様の間に流れた時は同じではありません故」 そう言い、クーゼルヘルは今までの経緯を簡素に語った。 「なるほど、貴女は貴女が求める居場所を手にしたのですね」 セティスは笑みを崩さずそう述べる。 その言葉に、クーゼルヘルは戸惑いを禁じ得ない。 「居場所、ですか?」 「ええ、貴女はいつも遠くを見ていて、心がここにはないようでしたから」 よく見ている。クーゼルヘルは舌を巻いた。 動機はどうであれ、クーゼルヘルは外を望んでいた。 それは誰にも知られていない自信があった。 現に家族は驚いたのだ。彼女が旅に出ると言ったことに。 「…知っていたのですか」 そう言うのがやっとだ。 「そりゃあ、ね。たくさんの民の中で貴女だけだもの。あんな目をした女の子は」 茶目っ気たっぷりに、マレアイアの女王はウインクをした。 とても敵いそうになかった。 「マレアレ神塔には、帝竜ドレッドノートが居座っている」 セティスから紹介された女性騎士隊隊長に、神の塔の話を聞いた。 シャンドラという名の彼女とクーゼルヘルは面識がなかった。 クーゼルヘルが旅に出てから入隊したか、頭角を現したのだろう。 そんなシャンドラは、衝撃的な言葉を発した。 「帝竜、ですって?」 耳を疑った。倒すべき、帝竜が、こんなところに? 「そうだ。帝竜は神塔を占拠してしまった。それ故守りの結界が張れないのだ」 なるほど。 冷静にクーゼルヘルは考えていた。 あのとき感じた違和感の正体はこれか。 結界が失われたという話ならわかりやすい。 「幸いマレアイア本島にはまだ効力があるのだが、周囲は…」 「効果が切れることは?」 「何もない限り大丈夫だろう。セティス様次第だが」 ふむ。ならば本島がいきなり危険に晒される心配はないか。 セティスに異変があればすぐに臨戦態勢も取ることができるだろう。 「帝竜が攻め込んでくる可能性は?」 「ない」 断言するシャンドラ。 「奴はドラゴンを発射するだけだ。自らは攻めてこない」 ドラゴンを、発射? 「奴は大砲のようなものからドラゴンを発射してくる」 疑問にシャンドラが答える。 「神塔を拠点にして、周囲へドラゴンを送り込んでいるようだ」 「そのドラゴンはここに攻めてこないのかしら」 「一応、実績がある。アマゾネスの総力を用いて、前に進入したドラゴンは始末した」 矢継ぎ早に質問する(疑問を投げているだけともいえる)が、全てにシャンドラは答えた。 しかも「なるべく根拠のある理由」を用いて。 「セティス様の結界もある。万が一の場合は考えられるが、どこも同じだろう」 確かにそうだ。どの街もドラゴンの驚異に晒されているのは同じ。 しかも、結界の分、マレアイアはまだましな方だ。 「確かにそうだわ。まあ、帝竜を倒せばいくらかマシになるんでしょうけど」 「帝竜を倒すつもりか?」 「…流石に今は無理よ。でも、ちゃんともう一度倒しに来るわ」 一人では、帝竜を倒せるとは思えない。でも、仲間がいたなら話は別だ。 だからきっと、また戻ってくることになるだろう。 この地へ。 自分の信じる仲間と共に。 ***** ドレッドノートのだいたいの概要を掴んだクーゼルヘルは、王宮を辞した。 「さて、すこしあたりを見てから戻ろうかしら」 やはり故郷は懐かしい。 セティスに言ったとおり、クーゼルヘルと周囲では過ぎた時は違うかもしれない。 だが、旅をすると故郷を思い出さずにはいられない。 トライドたち兄妹がいることも大きい。彼らの存在は家族を思い起こさせる。 とはいっても、クーゼルヘルは家に寄るつもりはなかった。 自分は飛び出した身なのだ。 しかし運命は皮肉なもの。 「クー…ちゃん?」 出会ってしまったのだ。 「姉さん…」 一瞬の内に、互いは互いを見つけた。 そして、その一瞬で、片方は既に動き出していた。 「クーちゃあぁぁぁん!」 姉が妹に猛然と走り寄り、そのまますっぽりと抱きしめる。 「ふぉっ…ふぇへふぁん!」 女性として魅力的な肢体に抱き留められ、クーゼルヘルは息ができない。 それほど、姉の抱擁はきつかった。 ちなみに「ちょっ…姉さん!」と妹は言ったつもりだ。 誰もそうは聞こえなかったが。 「クーちゃんクーちゃん! 連絡がないから心配したよぉ…」 若干涙声になりながら、姉は更に力を込めた。 苦しい。だが、同時に心地いい。 「ぶぇ…ふぇえさ…姉さん!」 ただ、流石に窒息しそうだったので引きはがした。 意外にあっさり、姉は妹から離れた。 「クーちゃん…」 姉はお預けを食らった犬のようにしゅんとなっている。 「そんな顔をしないでください、姉さん」 自分が寝ていた間も、ドラゴンを倒して回っていた間も、姉は変わっていない。 あのおおらかな姉のままだ。 「クーちゃんは、帰ってきたのよね?」 涙声だとは思っていたが、実際に姉は涙を流していた。 彼女は自分のいない時をどうすごしていたのだろう。 歌姫になるために頑張っていたのだろうか。 …いや。 なんとなく思う。姉は自分の価値を見つけられずにいるのだ。 自分のいるべき位置を、見失っているのだ。 「ごめんなさい、姉さん。帰ってきたわけではありません」 クーちゃん、違った。クーゼルヘルは言う。 自分は居場所を見つけたと、セティスは言った。 姉も、居場所があるはずだ。このマレアイアの中に。 今まで築いてきたものがあるのだから。 「でも、大丈夫です。私は姉さんを嫌いだから出て行ったわけではないですし」 息を吸う。 「──それに、私にとって姉さんはただ一人の大切な『きょうだい』ですから」 姉の涙が止まる。 「クーちゃん?」 見開かれた目は、まっすぐにクーゼルヘルを見つめている。 「ごめんなさい、姉さん。貴女の側に、ずっといることはできないんです」 「そんな! クーちゃん!」 飛びつこうとしてくる姉を、右手を挙げて制する。 「でも、きっと大丈夫です。姉さんには姉さんを助けてくれる人がいます」 私はその中には入れないけど、とは言えない。 それは、今の姉には酷だろう。 「また来ます。でも、今は行かなくちゃ。待っている人たちがいるんです」 「そう…なの?」 「ええ。色々頼られて大変ですよ」 そう言って笑うと、つられて姉も微笑んだ。 「大切な人たちが、いるんだね」 「ええ。でも、姉さんも大切だから──」 だから、また必ず、今度は堂々と訪ねていきますね。 そう言い残して、クーゼルヘルは背を向けた。 「さよなら、姉さん」 そう言うが、 「違うよクーちゃん。『さよなら』じゃなくて、『また今度』だよ」 ハッとした妹は、振り向いて姉を見た。 姉は、涙を流しながらも晴れ晴れとした笑顔で。 「いってらっしゃい、クーちゃん」 「いってきます、姉さん」 そうして姉妹は、二度目の別れを経験した。 ***** 「どうした、嬢ちゃん」 マレアイアを離れ、バ=ホへ向かう船の上。 珍しくクーゼルヘルが甲板に出ていた。 「んー、ちょっと、ね」 彼女の手には、何かが握られている。 「それは…手紙か?」 チラッと見た船長が聞く。 「そうよ」 クーゼルヘルは答えた。 「出すつもりだったんだけど、これはお預けだわ」 彼女が持っているのは、姉への手紙だ。 いずれ、運び屋ギルドに依頼するか、マレアイアへ行ったら置いてこようと思っていた。 だが、その必要はもうない。 マレアイアから出た自分は、もうあの家に戻る資格はないと思っていた。 だが、姉はそう思わなかった。考えてみれば当たり前だ。 だから、手紙は必要ない。 その内容は、自らの口で姉に伝えるものだから。 「さーてっと。それじゃ、パパッと世界協定決めちゃいましょ」 道は違えど、家族は家族。きょうだいはきょうだい。 そんな当たり前のことを、クーゼルヘルは今更ながら、感謝していた。