○第四章 帝竜討伐 ・その五 空にて フィルは悩んだ。 彼の目の前には、一つの弓がある。 カルティナと入れ替わりで、フィルは飛空挺に乗り込んだ。 「ドラゴンまでは?」 「そうかからんよ。長くて半日だ」 「わかりました」 船長とそんな会話をして、オークザインは全員に言う。 「インビジブルを倒す。みんな、力を貸してほしい」 クーゼルヘルが、ヴェネミトラが頷く。もちろん、フィルも。 「はい、質問」 「なんだい、クーゼルヘル」 「あたしは詩があるし、ミトラには魔術がある。でもあなたたちはどう戦うの?」 確かにそうだった。近距離を間合いにする者は、ここでは戦いにくい。 「私は、基本君たちの盾だよ。あとはカウンター要員」 あとは、指示を出す係ね。クーゼルヘルは自分で用意していた答えを言った。 「ああ、分かったよ」 そんな事を言われるのは意外だったらしく、照れながらオークザインは頷く。 「フィルは」 「命綱があれば十分だ」 空中戦をするらしい。 「いや、フィルにはこれを使って貰いたいんだ」 オークザインが取り出したのは、トライドから預かった弓だった。 ミレクーラで謎の人物から託されたものだ。 「ちょっと待て」 フィルの顔つきが変わった。 「俺は弓を使わない」 「そこを曲げてくれないか」 オークザインも真剣だった。当たり前だ。 フィルが弓を使わなければ、この戦いの勝機がずいぶん減る。 「フィル。君は元々弓使いだ。記憶を失ってからは一度も使おうとしないが…」 一度、大きく息を吐く。 「もしかすると、君は記憶を失ったままが良いと思っているのかもしれない」 「そんな事はっ!」 「なら尚更使うべきじゃないかな。先ほども言ったけど、君はもともと弓使いだ」 フィルが唸る。 「君が弓を使ってくれないと、我々の勝ちは難しいよ」 更に唸る。 「…考えさせてくれ」 「インビジブルと遭遇するまでには、結論を頼むよ」 「ああ」 こうして、フィルは悩んでいた。 この弓を取るべきか否か。 何か、この選択が人生で重要な気がして。 彼は、なかなか選べなかった。 ***** 空が、埋まっていく。 埋め尽くすものはダミーだ。 インビジブルを引き留めるために作られたもの。 そんなに大したものではないのだが。 「近いぞ。戦闘準備だ!」 船長の号令一つ、皆に緊張が走る。 「フィルは?」 オークザインの問いに、クーゼルヘルは答えた。 「まだよ」 戦闘準備だ、の声はフィルにも届いていた。 「くっ」 もはや時間がない。 「腹を決めろ。お前の目的は何だ?」 自分に問うた。 俺の目的は、ドラゴンという種を殲滅すること。 オークザインの言葉を思い出す。 弓を使わなければ、勝ちは難しい。 「よし」 彼は選んだ。 彼は選んだ。目的を遂行するために。 甲板に上がろうとするフィルの手には、弓が握られていた。 「フィル?」 フィルが来た。 だが、様子がおかしい。 「敵はどこだ」 フィルは言った。とてつもなく低い声で。 「フィル、君は変わりすぎだよ」 オークザインが肩をぽん、と叩いた。 「昔の君がいきなり戻ってくるとは」 「昔?」 ヴェネミトラが疑問の声を発した。 彼女が、フィルとの付き合いが一番浅い。 「そうね、あたしが初めて会ったフィルもこんな目をしていたわ」 クーゼルヘルがしみじみと言う。 その殺気の塊のようなフィルも久しぶりだ。 とはいえ、彼女たちには絶対的な三年の空白があるのだが。 「そんな事はどうでもいい。敵はどこだ」 「ドラゴンなら、すぐそこさ」 その言葉を聞いて、フィルの目が変わった。いや、戻った。 「ドラゴン…そうだ。俺は、奴らを…」 「フィル?」 急な変化にクーゼルヘルはついていけない。 「戻った」 ヴェネミトラは冷静に判断した。 「戻った、ね」 オークザインは曖昧な顔をして、フィルの肩を再度叩く。 「フィル、頼むよ」 「ああ」 フィルは頷いた。弓を持つ右手には、かなりの力が入っていた。 ***** 来た!ドラゴンだ! ──インビジブル! フィルは悟り、標的を探した。 忘れもしない。特徴あるフォルム。大空を駆ける気配。 一度は邂逅するも、こちらの『不戦敗』に陥ったため、決着のつかなかった相手。 空帝竜インビジブル。二度目の正直。 「船長! なるべく竜を揺さぶってください!」 「おうよ!」 オークザインが指示を出していく。 指示を出されるまでもなく、クーゼルヘルは唱い始めていたが。 「ダミーはどれくらい保ちますか?」 「さてな。今まで保っているのが不思議なくらいだ」 それは確かにそうだ。 インビジブルを引きつけ、飛空挺の行き先を紛れさせるために使用されたダミー。 もう使えなくなっていてもおかしくはない。 「ファロが細工をしたみたいだ。ただ、あと保って四半日」 プロレマと交信していたヴェネミトラが言った。 「あまり期待しないでくれ、と作戦本部からの伝言だ」 オークザインは考えた。 どうすれば効果的に戦うことができるか。 どうすれば被害を少なくすることができるか。 やはり、ダミーは必要だ。 「クーゼルヘル、詩を優先しつつ癒しを」 「ついでに隙をみれば攻撃もするわよ」 「それは頼もしいけど、優先を間違えないように」 「ええ」 クーゼルヘルは既に唱っている。 会話のついでに詩を変えた。 「ミトラ、君は電撃と氷の二枚攻撃を頼む。できるかい?」 「問題ない」 「あと、もう一つ──」 フィルの弓は正確だ。 ただ、インビジブルには絶対的な力、速さがある。 なかなか捉えられない。 「てめえ、避けてるんじゃねえ」 狙えども当たらないジレンマに思わず声が漏れる。 「ちょっと。当てるくらいしなさいよ」 クーゼルヘルがヤジを飛ばす。 それに反論しようとしたものの、彼女はまた新しい詩を唱い始めている。 「ちいっ」 舌打ち。全てがもどかしい。 「当ててやるさ、この野郎」 狙いを付けて、そして撃つ。 「先を見るんだ。先をな」 声が聞こえた。 誰の声だ? クーゼルヘルでもオークザインでもなかった。 ミトラは魔術行使で精一杯だし、船員達は慌ただしく動いている。 「君は動いている的にはなかなか当たらないな」 「動いている的は、動きの先を読み切らないと当たらないよ」 幻聴? そうかもしれない。 この声、聞き覚えがあるこの声。 記憶の、中に、沈んでいる── 「フィル!」 オークザインが叫んだ。そのまま目の前が防がれる。 盾が、インビジブルの攻撃からフィルを守ったのだ。 「君らしくもないな」 「すまん、ちょっと対策を練っていた」 「先の先を読んで撃ってほしいところだね」 「そうだな。今それを読んでいたところだ」 同じことを言われた。誰に? わからない。 頭が痛む。傷ではない。何だ、この痛みは。 「来るぞ!」 翼が嘶き、鋭く迫る。 オークザインはなんとかその攻撃を凌いだ。 「ちいっ」 フィルは連続で矢を放った。 少しでも先を読むんだ。奴は、どう動く? その時。 「…くっ! みんな、伏せろ!」 予感に本能が反応した。思わず叫んでいたことに自分でも驚く。 皆が伏せの体勢を取った丁度その瞬間、嵐は起きた。 ***** 「雷撃よ!」 ミトラの攻撃は要領を得ていない。魔術の効果が薄いのだ。 「ミトラ!」 クーゼルヘルも鞭を手に油断なく目を光らせる。 「マナはキャパを越えない限りは大丈夫よ!」 「了解。いつも助かっている」 月明かりが彼女らを薄く照らす。月はマナを活性化させるのだ。 「氷弾よ!」 氷が翼を打つ。インビジブルは悶えた。 「よし」 珍しく結果に感想を述べつつ、更に印を切る。 「雷撃よ!」 と、その雷を、目の前のドラゴンは。 「こいつ、雷を食べた!?」 そう、捕食した。 「いけない」 ヴェネミトラが唸ったときには既に遅い。 インビジブルは、雷の嵐を作り始めていた。 「被害状況は?」 「船は大丈夫だ。こんな雷くらいでは壊れねえ」 オークザインの問いに、船長は自信満々に答えた。 安心の一言だ。 「特に酷い怪我はいねえが、何人かはしばらく使えないだろうな」 電気の放出により、何人かは運動機能が麻痺しているようだ。 「なんでこう帝竜ってのは嵐を起こしたがるのかしら」 クーゼルヘルが皮肉る。 「どちらかというと、これは電撃の拡散放出だと思われる」 ミトラが分析する。 「破壊力、の点ではそれほど脅威ではない」 「つまり?」 「収束された電撃を食らう方が危険…あのような」 インビジブルは、翼を叩きつけようとしていた。 そこを先読みしたのは、もちろんオークザイン。 「くっ」 翼と盾が触れた瞬間、激しい火花が飛び散った。 それは電気を帯びた翼だったからなのか、勢いが強かったからかはわからない。 ただ、オークザインはその攻撃を耐えた。受け流すことなく。 「そこっ!」 その交錯、数秒のうちに、クーゼルヘルは鞭を打ち付けていた。 楔だ。鞭の先端がインビジブルの体に引っかかった。 オークザインが耐えきったことを感じたインビジブルは、一瞬体を引く。 しかし、 「そうはいかないわよ!」 力を込めて鞭を引くクーゼルヘル。が、流石に力では適わない。 そのやりとり、一連のやりとりが、突破口だった。 「──シュッ」 フィルが放つ矢が、次々とインビジブルにヒットしていく。 悶えるインビジブル。クーゼルヘルが引っ張られ。 彼女の体をオークザインが支える。 フィルはその間も矢を打ち続ける。ひたすらに。 刺さった矢に向けて電撃を放ったミトラだったが、効果がなかった。 「やはり電撃は…」 と呟きながらも印を切り、マナを練り上げる。 「マナバレット」 打ち付けられたマナに、インビジブルが叫びをあげた。 フィルはひたすら射る。それこそ、何かに取り付かれたように。 「くっ…これ以上は耐えきれないな」 オークザインが言った。彼の右手はギシギシと妙な音を立てていた。 義手が、これ以上の連続的負荷に耐えきれないのだ。 「離しましょ」 あっけらかんと、クーゼルヘルが言った。 その鞭は、マレアイアから授けられたものだというのに。 「しかし」 騎士はその辺りを大事にする。オークザインも然りだ。 それに彼はカルティナと時間の共有が多い。その影響もある。 ルシェは託し託されを大事にする。それが死に至る状況でも。 ルシェは共同体だ。だが、オークザインはルシェではない。 「船に括り付けな!」 船長が叫んだ。 「このままだときっと逃げられる!」 一度目の邂逅を考えるに、この帝竜はヒットアンドアウェイが戦法だろう。 ならば、このまま離してしまうのは惜しい。 人が支えられないのなら、もっと違ったもので支えればいい。 「とはいえ、これは厳しいわ、よっ!」 鞭から逃れんと暴れるインビジブルには、矢が浴びせられ、魔術の弾丸が放たれている。 そのせいで更に暴れ、それをおとなしくさせるため、とループする。 「船長!」 「おうよ」 打開する方法はいくつかある。 その中でもっとも単純な方法を、彼らは取った。 すなわち、インビジブルとの距離を詰める、ということを。 ただ、一つ、これはどうにもならなかったわけだが警戒していたのは。 ガコッ! 船体と帝竜の衝突だった。 ***** 激しく揺れるのは覚悟していた。 それこそ、インビジブルは前回相当に体当たりを仕掛けてきたのだ。 一度それを経験したものは、知っていた。 知らなかったのは、新しい船員達と、ヴェネミトラ。 だが船員達はそれこそ屈強の荒波を越えてきた猛者だし、ミトラは何にも動じない。 放り出された者はいなかった。 そして、それが反撃へと繋がる。 「括ったわ」 クーゼルヘルが鮮やかにやってのけた。 「フィル!」 「ああ」 いつの間にか武器を短剣に持ち替えたフィルが鞭の上を走る。 「食らえ」 恐ろしく低く発せられたフィルの声は、風に紛れて誰の耳にも届かない。 しかし、クーゼルヘルは見ていた。 彼の顔。その快楽に墜ちた顔を。 「マナバレット」 呆気にとられるクーゼルヘルの横。無慈悲にヴェネミトラが弾丸を放つ。 フィルの短剣と同時にそれは突き刺さった。 「んのおおぉぉ!」 インビジブルが喋った。 仮面のような顔。怒りに歪んだそれを隠そうともしない。 フィルは各部に短剣を走らせながら、その頭へと辿り着いた。 「五月蠅い」 そして、脳天に短剣を刺す。が、なんと、インビジブルはそれを弾いた。 「甘いわっ!」 風が怒った、否、起こった。 インビジブルが操ったに違いない。 「ぶわっ」 フィルの顔が歪んだ。風圧によって。 だが、吹き飛ばされはしない。 インビジブルの体にしがみつき、堪えようとする。 「チャンスよ!」 クーゼルヘルが叫んだ。ヴェネミトラが呼応する。 「我が内のマナよ…」 内なるマナを活性化させる。 ミトラの体が光を帯びる。それは月明かりによるものではない。 マナが溢れていた。 「くっ…」 苦しそうな顔を一瞬みせたが、それでもミトラは接続を切らない。 「マナが暴走してるわ」 クーゼルヘルが苦しそうに言う。 「さっきの嵐ね。あれでこの周辺のマナが一時的に不安定なのよ」 「なんとかできないかい?」 「無理」 クーゼルヘルは言った。 「本来、マナを扱うに長けているのは彼女たち魔術師だけよ」 魔術師はマナの変質を最も行える者達だ。 癒し手や、クーゼルヘルやオークザインのような「マナを回復に用いる」者はいる。 が、それは空気中のいわゆる『場』にあるマナを用いるのではない。 自ら、そして相手のマナを活性化させるもの。 もしくはマナを注ぐもの。 癒し手の用いる強力な術にはマナを操作するものもある。 大気中からマナを取り出す魔法がそれだ。 クーゼルヘルの用いる『月明かりの歌』も一種のマナ操作だ。 しかし、それはあくまでも間接的なものであり、マナの直接操作ではない。 魔術師はそれらを自然にやってのける。 ただ、それ故にマナの影響を強くも受けるのだ。 しかも、ミトラは今自らの内に接続して更なるマナを取りだそうとしている。 更に負荷がかかってもおかしくはない。 「マナ…」 ミトラが印を切る。 「バレット」 ──辺りが光に包まれた。 ***** 早々に復帰したのはオークザインだ。 「みんな!」 こういった事態に慣れているのだろう、船長が声を上げる。 「無事だ。特に破損箇所はねえ」 「こっちも大丈夫よ」 クーゼルヘルはいつの間にかミトラを抱えていた。 ヴェネミトラは完全に意識を失っていた。当然か。 「…フィルは?」 オークザインが唸った。 「それよりドラゴンだろ!」 船長は獲物に手をやっている。 ミトラの放ったマナは爆発したかのように辺りに散っていた。 残光が周囲の景色を滲ませる。 「! インビジブル!」 その光を縫って巨大な影が見えた。 間違いない、インビジブル。 一緒にあったはずのフィルの姿がない。 墜ちたのかと、クーゼルヘルは一瞬戸惑った。 が、そんなに簡単にくたばらない彼の姿を知っていた。 案の定、と言うべきか。フィルの姿はすぐに見つかった。 いや、フィルが現れたと言うべきか。 マナの爆発はインビジブルの表面で起こった。 フィルはその爆風を利用して、跳んだ。 「おおおお!」 器用に弓を構えたフィルが矢を撃つ。正確に、素早く。 撃つ。撃つ。撃つ。 ことごとくがインビジブルへと殺到する。 先ほどのマナ弾丸によってインビジブルの固い面は一部が削れていた。 そこを、フィルは狙っていたのだ。 「ぐぎゅぁぁぁぁ」 落下運動を利用して、フィルの放った矢は速度を増す。 やわらかい部分をねらわれてはひとたまりもない。 更に。 フィル自身が落下運動を利用する。 弓を捨て、短剣を構える。まるで突進するように。 いや、実際突進だ。 少しでも深く。少しでも大きく。傷を。 フィルが願うものはそれ一つ。 全てのドラゴンを滅ぼすために。 「フィル!」 ミトラを抱えながら、クーゼルヘルが叫んだ。 インビジブルが動く。頭上のフィルに顔を向けた。 そのまま、面のような口を開く。 「飲み込む気か」 船長が呻いた。この位置では何もできない。 だが、一人そうは思わなかった者がいた。 「頭上が空いたぞ!」 オークザインは叫んだ。狙うしかないその位置。 先ほど放ったフィルの矢がいくつもそこには刺さっていた。 「クーゼルヘル!」 とん、とオークザインは船の縁に立った。意味することは簡単だ。 「もしもの時は頼むよ」 二重の意味の『頼む』を残し、オークザインは橋を渡る。 それは、クーゼルヘルが架けた鞭の橋。 た、た、た、た。 オークザインは駆ける。 その瞬間にも、フィルはインビジブルと肉薄していた。 「突き抜けろッ!」 勢いを殺さずインビジブルの口内へと突撃した。 「ぁんの馬鹿っ」 クーゼルヘルが歯噛みをしながらその様子を見守る。 勿論、オークザインはそれを見逃す訳もない。 突撃した。フィルと同じく。 だが場所は違う。がら空きの頭。 「うおおぉぉ」 剣が唸る。あたかも、その元々の持ち主が戦う時のように。 ザクッ 一度。 ザクッ 二度。 返し刃を構え直し、三度目は突き入れた。 ザクゥッ 「うおおぉぉ」 吠えた。誰でもない。インビジブルが。 あたかも断末魔の叫びのように。 いや、実際それは断末魔であった。 ***** クーゼルヘルは目撃していた。 オークザインがインビジブルの脳を突き抜くのを。 フィルが、インビジブルの腹を突き抜くのを。 ──判断は早かった。 「起きて!」 ミトラを叩く。叩く。 「む…痛いぞクーゼルヘル」 目を覚ましたが、現状を把握していないだろうミトラに、 「フィルの落下を調節して!」 とだけ言った。ミトラは空を見、納得する。 「承知した」 そして、詠唱を始めた。 クーゼルヘル自身は船縁に寄る。船長もそこにいた。 「切るか?」 既に船長は決着とわかっている。 「いえ、彼を迎える。それに」 それに、これを安全な処に墜とさなければ。 街に墜ちてはたまったものではない。 「おっしゃ、わかったぜ」 船長にはそれだけで通じたらしい。 「でも、保つの?」 「さあな。プロレマの技術力を信じるしかないだろう」 言いながらも信じているようだ。 「あとはこの鞭ね」 「心配ない。強化した」 ミトラが事も無げに言う。 「じゃあ、後は落とすだけ、かしら」 インビジブルの体は徐々に高度を失っているようだ。 慣性で飛んではいるものの、重力には逆らえない。 「状況はどうだい?」 さっくりオークザインが帰ってきた。 「貴方が帰ってきたから落とすだけだわ」 「何処に落とす?」 「この場所からだと北極に行くべきだろう」 現在位置はプロレマの少し北。 『へそ』と呼ばれる島の近く。 この島を越えれば北極との間に海が開けている。 「北極なら誰も近づかないしどこに墜ちても大丈夫かな」 北極は『不吉な地』として昔からほぼ誰も近づかない状態だ。 世界大戦発祥の地だとか全てを吸い込む穴があるだとかの噂が多い。 無論、プロレマはなにもない事を公言しているが、 そうは言っても納得する者などさしていないだろう。 人はプロレマの技術を認めてはいるが、恐れてもいる。 ノワリーが言ったように、彼らは異端であるのだ。 「船長」 「もう指示は出している」 船は北へ向かっていた。 「んあ?」 最初に気づいたのは船長。 「こりゃひでえな」 フロワロの密度が濃い。それに加え、 「空気が虹色に歪んでいるな」 奇妙な光景だった。 地面、海面にはフロワロの色。 空中には、それより鮮やかな虹の色。 「綺麗」 ミトラが言う。 「綺麗な花にはトゲがあるものよ」 クーゼルヘルは相変わらず皮肉を言う。 いや、今回ばかりは皮肉でもない。 「もうそろそろいいんじゃないかな」 オークザインの声に、光景に見とれていた者達も動き出す。 「この鞭はどうするんだ?」 しっかりと絡み離れない鞭を指し、船長が聞く。 「そのまま切るわ」 当たり前だ、とクーゼルヘルが言う。 「墓標には勿体ないかもしれないけどね」 託された品だった。 「いいわね」 オークザインに念を押す。 「君が言うなら」 彼も折れた。 「でも、斬るのは感心しない。きちんとほどこう」 が、あくまでもオークザインはオークザインだった。 「…わかったわ」 そこは彼に任せた。 オークザインは器用に結び目をほどいた。 「ちょっとの間だったけど、ありがとう」 オークザインが手を離す。 飛空挺は旋回し、プロレマへと進路を取ろうする。 インビジブルの死骸は高度を落とし、北極のフロワロの中に墜ちた。 フロワロを撒き散らし、あたかも 「さあ、プロレマへ戻ろう」 オークザインがそう言ったとき──世界が一変した。 「上!」 誰が言ったか。おそらくは、クーゼルヘル。 見上げたのは、全員。 が、そんなこともおかまいなしに、ソレは降ってきた。 ドオオオオオォォォォォン! 激しい地鳴り。 そして、砂煙。あとは、フロワロの花が散り乱れ。 一連の事が終わった時には、 先ほど、インビジブルが墜ちた場所に、 大きな塔が建っていた。